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Well maybe not 'crystal'...

木曜日, 11月 03, 2005

ある所できいた話。

「アルコール中毒者はアルコールそのものを求めているのではなく、
アルコールを飲むことによって得られる感覚を求めている。
セックス中毒者はセックスそのものを求めているのではなく、
セックスによって得られる感覚を求めている。」

こんな調子でなにからなにまで(音楽を聴いたり映画を観ることから、
食べることまで)すべて直接の対象じゃなくて、
その対象によって引き起こされる感覚を人間は求めているんだって話。

この話きいたときは、「うーん深いなぁ。。」と思ったけど
やっぱりおいしいもの食べたいし面白い映画観たいしいい音楽聴きたい。
だって生きてるってそういうことでしょ?
Comments:
深いね。
いろんな快楽に人は依存しているってことかな。
これは、文じゃ語れないね。
ちょっとしたニュアンスで変わっちゃう。
正直、私自身楽しみの質がすごく変わってきている。
これは、私の周りの人を見ていて思うんだけど。
年取ると楽しいことが少なくなっていくみたい。
生きるって何なんだろうね。
 
sumitraさん、
これ実はヴィパッサナの10日間コースに
参加したときにきかされた話です。
ヴィパッサナのコースって現代人向けに
多少アレンジされてるとは言え、結局は
お坊さんとか世を捨てた人の道なんですね。
アンマのとこのサニヤシンなんかもそう。
でも、世捨ての道ってやっぱり万人向けでは
ないと思うんです。みんながみんな俗世を
捨てちゃったら世の中回っていかないし、
インドでも出家は50・60過ぎて俗世での
お仕事を終えてから、って言うらしいし。

楽しいことや快楽って宗教とか
スピリチュアルな世界では目の敵に
されがちだけど、どんなに低俗な
楽しみでも、それも全部ひっくるめて
生きるってことじゃないのかな、
って最近思います。
 
うん、
生きるってことは、初めから全ての体験が許されていることだとも思う。
私は自分の人生を振り返っても、
かなりの体験派だと思う。。。へへへ。
ただ、本当に楽しいことは深いところから来ると思う。
そういう意味で質は変わったかな。
あまり若いとか年とか言いたくないけど、
若いときに楽しかったことの中で、
終わっちゃうことってあるんだよね。
だからなおさら、
やりたいことは、やりつくすべし。
なのだ・・。

そのうえで言えることがあるさ。

スピリチュアルな修行も
深いところでは何も変わらないと思うよ。
ただ楽しんでいる自分を観ていなさいってことなんじゃないかな。
逆に、スピリチュアルを知れば知るほど、
低俗なものって無くなると思うんだけどね。
どうかなー。
 
人生ってすごく多面的なものなんだと最近よく思います。
ほんとに程度の低いものから、この上もない高みにあるものまで全部あり。
低いものも受け止められてはじめて、人生を完全に生き切ったことになる。
でも同時に高きものに向かう心もないといけない。
人生は矛盾をはらんでいて、それでも人間は生きていかなくちゃいけなくて、でもいつかはそれを矛盾とは感じなくなる日が来る、となんだかとりとめもないですが。

Pleasure comes from outside. Joy comes from within.
楽しみは外から。喜びは内から。
 
>Pleasure comes from outside. Joy comes from within.
楽しみは外から。喜びは内から。
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